高松高等裁判所 昭和27年(う)53号 判決 1952年6月16日
控訴人 被告人 井上雅由 外五名
弁護人 武田博
検察官 十河清行関与
主文
原判決中被告人等に関する部分を破棄する。
被告人井上雅由・同武田敏朗・同小野義章を各懲役弍年以上四年以下に、被告人野口進・同藤田健蔵・同梅崎恭一を各懲役参年に処する。
この裁判確定の日から参年の間被告人野口進・同藤田健蔵・同梅崎恭一に対する右刑の執行をそれぞれ猶予する。
原審の証人長尾勝に支給した費用は被告人等と原審相被告人宮武宏次との連帯負担とし当審訴訟費用は被告人等の連帯負担とする。
理由
弁護人村上常太郎の末尾添付控訴趣意第一点について、
少年法第二〇条の規定により事件を検察官へ送致する決定をした裁判官は事件について検察官又は司法警察員の職務を行つたものでなく、又後にその事件の裁判をしても前審の裁判に関与したものでないと解すべきであるから刑訴法第二〇条第六号又は第七号の孰れにも該らない、この解釈は家庭裁判所が新設されたことにより刑訴法に必要な改正(例へば刑訴法第二三条第二項に「又家庭裁判所の裁判官」等々)が施されているのに右第二〇条は何等改正されていないことに鑑みるも誤つていないと言はなければならない、従つて家庭裁判所の新設の前と後とで所論のように解釈や取扱ひが異なるに至つたものと言うのは失当である、それ故本件について家庭裁判所裁判官として所論検察官送致の決定をした矢野判事が更らに地方裁判所における被告事件の裁判長として審理したことを以つて刑訴法第三七七条第二号に違背するものとは言へないから論旨は採用できない。
同第二点について。
しかし少年法第五〇条第九条少年審判規則第一一条は少年に対する刑事事件の審理方針についての準拠規定であつて裁判所がなるべく同条所定の者の所定事項についての専門的智識を活用するよう努めなければならないとする訓示規定である、されば仮に裁判所が同条に準拠しなかつたとしてもその規定の性質上審理手続を違法ならしめるものではないし刑訴規則第二七七条もそれに対応する同趣旨の規定と解すべきである、しかして記録を調べると原審は各被告人等の司法警察員及検察官に対する供述調書並所論各被告人の身上調査票等を取調べているのでそれに記載されている本件各被告人の境遇・経歴・教育の程度・家庭の情況等も自ら判明するから前記規定の要請する審理の趣旨にも合している訳である、それ故原審が殊更所論の資料を取調べなかつたとしてもために審理に所論のような違法不当あるとは言へない、故に論旨は失当である。
同第三点及各被告人等の末尾添付控訴趣意について、
所論を充分に考慮のうえ記録を精査して窺はれる各被告人等の犯情等更らに当審の事実取調べの結果等に徴し勘考してみると被告人井上雅由・同武田敏朗・同小野義章には酌量減刑をするが相当でありその余の被告人等には刑の執行を猶予するのを相当とする情状があると思料されるので叙上趣旨において論旨は理由がある。
よつて刑訴法第三九七条第三八一条に則り原判決中被告人等に関する部分を破棄し同法第四〇〇条但書により原審が適法に確定した原判示の事実を法に照らせば、被告人等の所為は孰れも刑法第六〇条第一八一条第一七七条に該りかつ同法第四五条前段の併合罪であるから有期懲役刑を選択し同法第四七条本文第一〇条第三項第一四条に従ひ犯情の最も重いと認められる被告人井上雅由・武田敏朗・小野義章・梅崎恭一の原判示第三の罪被告人野口進・藤田健蔵の原判示第二の罪にそれぞれ法定の制限内で加重をし、又情状同法第六六条第六七条により酌量減軽をするを相当と認めそれぞれ同法第七一条第六八条第三号の減軽をした各刑期内でかつ被告人等が少年法第二条の少年であるから被告人井上雅由・武田敏朗・小野義章には少年法第五二条第一、二項をも適用して主文の通り不定期刑を量定し、被告人野口進・藤田健蔵・梅崎恭一には少年法第五二条第三項刑法第二五条をも適用し主文の通り量刑してその執行を猶予する、尚刑訴法第一八一条第一八二条により原審証人長尾勝に支給した費用は被告人等と原審被告人宮武宏次に又当審訴訟費用は被告人等に負担させる。
仍つて主文の通り判決するのである。
(裁判長判事 三野盛一 判事 谷弓雄 判事 太田元)
弁護人村上常太郎の控訴趣意
第一点原判決は刑事訴訟法第二〇条六号又は七号の規定に背反し同法第三七七条第二号に因り破棄を免れざるものと思料す本件記録を検討するに原審裁判を為せる裁判長が松山地方裁判所西条支部判事矢野伊吉氏なることは原判決末尾(記録三七一丁)の署名捺印に徴し又本件を少年法第二〇条により松山地方検察庁西条支部へ送致するの裁判(決定)を為せる西条家庭裁判所判事が之亦矢野伊吉氏なる事も本件記録(記録一四五丁裏)編綴の裁判書に徴し明々白々なる処なりとす然り而して少年法第八条には「家庭裁判所は前二条の通告又は報告により審判に附すべき少年ありと思料するときは事件について調査しなければならない」と之を命じ其の目的達成の為の証人訊問検証押収又捜索を刑事訴訟法の捜査の規定に準じて為すべく少年法第一四条及び第一五条に規定し該調査蒐集による資料を基礎としてとるべき手続については少年法第二〇条に於て「家庭裁判所は死刑懲役又は禁錮に当る罪の事件に於て調査の結果其の罪質及び情状に照して刑事処分を相当と認めるときは決定を以て之を管轄地方裁判所に対応する検察庁の検察官に送致することを要す云々」と規定し更に同法第四五条第五号に於て「検察官は家庭裁判所から送致を受けた事件については公訴を提起するに足りる犯罪の嫌疑があると思料するときは公訴を提起しなければならない、但し送致を受けた事件の一部について犯罪の嫌疑なきときはこの限りに非ず」との除外例を設けて起訴を必須条件と為せるをみる更に又新設の家庭裁判所が従来の最高裁判所、高等裁判所、地方裁判所、簡易裁判所が縦の系列に於ける四級の裁判所なりし処横の系列に於て新設せられたる裁判所なること並に家庭裁判所の審判が裁判官によつて行はるるものなる事は昭和二十三年十二月法律第二六〇号裁判所法の一部を改正する等の法律第二条中に「及び簡易裁判所を家庭裁判所及び簡易裁判所に改める」とあり更に同法第三一条の四号に「家庭裁判所は審判又は裁判を行うときは一人の裁判官で其の事件を取扱ふ但し他の法律に於て裁判官の合議体で取扱ふべきものと定められたるときは其の定めに従ふ」との規定あるに徴し明々白々たるところなりとす以上の諸規定を検討するに少年犯被疑事件につき家庭裁判所判事は其の調査の結果該犯罪の罪質及び情状に照して刑事処分を相当と認むるときは管轄地方裁判所に対応する検察庁の検察官へ送致するの決定を為し因つて以て同法第四五条第五号により公訴提起を為すべく当該検察官を拘束するものにして其の調査決定は司法警察員が犯罪を捜査し起訴意見を付し検察官に送致する職務の執行或は検事が犯罪を捜査し公訴を提起する検事の職務執行たるに外ならず検察官は送致を受けたる事件については必ず起訴せざるべからざること前記第四五条に照し明白なる処なりとす然り然らば前掲決定を為せる裁判官は該事件の刑事裁判に付ては刑事訴訟法第二〇条第六号により除斥せらるべきものにあらざるや此の点に関し家庭裁判所の新設せられざる以前に於ける刑事訴訟法第二〇条第六号の解釈として同号の適用あるは裁判官が任官前に検察官又は司法警察員の職務を行える場合に限るが如き説を為す者あるも家庭裁判所の新設をみたる今日右解説は当らざるなり以下卑見を上申せんに本弁護人該解説に言ふ判事の任官前と任官後とにより右差別を置く理由何処にありや之が発見に苦しむものなり旧刑事訴訟法第二四条第七号所定の判示事件につき検事又は司法警察官の職務を行いたるときは除斥せらるとの規定の適用については旧裁判所構成法第六条所定の現職判事が検事の代理として事件を取扱ひたる場合を右除斥理由に該当するものと(平井彦三郎著刑事訴訟法要綱第一一一丁)解せると同様家庭裁判所判事の前掲少年法による少年事件についての調査決定は司法警察職員又は検事の職務を行いたるものに外ならずと思料すそもそも刑事訴訟法第二〇条に裁判所職員の除斥の規定を制定せる所以のものは裁判官が当該事件の被告人と密接なる利害関係を有する場合又はかつて其の事件を取扱い偏見又は先入意見にとらわるる場合ときに被告人を不当に重く若くは不当に軽く処断するの虞なきを保し難しとなし裁判の公平と威信とを保障せんとするにあるものなる事は上申する迄もなき事なりと信ず。
以上を以てすれば前掲解説の如く刑事訴訟法第二〇条第六号の裁判官が任官前に検察官の職務を行いたる場合に限るとなすは当らず任官前なるが故に予断を抱く虞あり任官者なるが故に予断を抱くの虞なしと区別するの理由何処にありや右解説は家庭裁判所設置以前に於ては裁判官が検事又は司法警察員の職務を行う場合なかりしによる主張なりと思料す或は云わん少年法第八条に言う調査は捜査に非ずと然れ共同法第一四条同第一五条所定の証人尋問検証押収並に捜索を含む調査が捜査に非ずと為すは刑務所は監獄に非ずと言ふに等しきものと言ふを得べし右用語の差別あるは少年法が少年の保護を骨子とする処より用語に意を用いたるに過ぎざるなり実質に於て何等の差異あらんや更に少年審判規則第八条第二項により司法警察職員より送付せられたる事案に関し関係書類証拠物につき審判に附すべき事実関係を調査し刑事訴追の適否を決定するが如きも検事の職務を行うものに非ずして何ぞや他面判事が右関係書類証拠物について調査後送致決定を為し同判事が該刑事事件の審判を為すが如きは刑事訴訟法第二五六条第六項所定の訴訟手続の根本精神に背反するものに非ざるか更に又少年法第八条第二〇条第四五条第五項の建前よりすれば該調査決定を為せる判事が更に該刑事事件の審理を為すは捜査起訴審判を同一人の手続にて行う事に帰し斯の中世紀欧洲に於て行われたる糺問主義訴訟手続の再現に外ならざるべし上申するまでもなく糺問主義訴訟手続が仏革命を契機として其の姿を消すこと久し今や該手続は刑事事件に関する限り如何なる部面に於ても認容せられざるものと信ず然り然らば少年法第八条同法第一六条により少年犯罪を調査し同法第二〇条により其の罪質及犯情に照して刑事処分を必要と認め同条所定の決定を為せる矢野判事が該刑事事件につき裁判長として審判に関与せるは刑事訴訟法第二〇条第六号に背反するものなりとの結論に到達せざるを得ざるなり更に前掲矢野判事の決定は刑事訴訟法第二〇条第七号所定の前審関与にも該当せざるか此処に言ふ前審の裁判とは普通に上訴に因る不服を申立てられたる当該事件の総ての裁判を指称するものと解するが如し然れ共前審とは必ずしも下級審たる事を要せざるものと解す上級裁判所より事件の差戻ありたるときは其の差戻の裁判に関与したる判事は除斥制定の精神により本条によりても亦其の後の審判に付除斥せらるべきものと解せらるると同様従来の縦の系列ならざる新設せられたる横の系列にある家庭裁判所が少年法第二〇条により其の罪質及び情状に照して刑事処分を相当と認めて送致決定をなせる場合其の後の刑事処分に対し家庭裁判所は又前審の裁判なりと解すべきものと信ず前段主張と刑事訴訟法第二〇条第七号に於て裁判官が事件について刑事訴訟法第二六六条第二号の決定を為したる場合を除斥理由となし又旧刑事訴訟法第二四条第八号に於て判示事件につき予審終結決定に関与したる場合を除斥となせる法の精神とを此照検討すれば一層明なる処なりと思料す尚又送致決定をなせる判事に該刑事事件審理に於て少年法第五五条所定の決定を求むるが如き事は至難の事なりと謂ふを得べし然るに本件に於て判事矢野伊吉氏は冒頭掲記の如く家庭裁判所として少年法第二〇条所定の決定を下しながら更に本件刑事被告事件の裁判長として関与審判せるは刑事訴訟法第二〇条第七号にも該当し刑事訴訟法第三七七条第二号に背反するものなるを以て原判決は破棄せらるべきものと思料す。
第二点最近に於ける科学研究の結果は社会生活の総ての方面に著しき貢献を為し法制経済の関係も甚大なる影響を蒙りたり就中刑事人類学刑事社会学は刑事制度に一新紀元を画し特に少年犯に関する研究は少年に対する法律上の態度を根本的に変更するに至れり其の理由とする処は既往少年に対する法制上の態度が根本的に誤謬ある見解に其の基礎を置きたりとの結論を科学的に又実証学的に獲得したるが為に外ならず此処に於て最近法制の改廃相継ぎ少年法の制定を見るに至れる事は謂ふを俟たざる処なりとす少年法第四章少年の刑事事件に関する法令第五〇条によれば「少年に対する刑事事件の審理は同法第九条の趣旨に従つて行はれなければならない」との強行規定あり而して同法援用の第九条には少年と其の保護者又は関係人の経歴素質環境等について医学心理学教育学社会学其の他の専門的知識を活用して之を行ふ様に努めなければならないと訓示し少年審判規則第一一条第一項には「審判に附すべき少年については家庭及保護者の関係境偶経歴教育の程度不良化の経過性行心神の情況等審判上必要なる事項の調査を行ふものとする」とあり又最高裁判所の刑事訴訟規則第二七七条には少年事件の審判については懇切を旨とし且事案の真相を明にする為家庭裁判所の取調べたる証拠は努めて之を取調べる様にしなければならない」と明示する処なりとす「本件記録を調査するに前掲法規の趣旨を遵守せる形跡の認むべきものなく只単に犯行の回数に依拠して区別したるのみで之を除きては刑の量定に影響を及ぼすべき資料並に該当事項の発見に苦しむ処なりとす只司法警察員作成の被告人等に対する身上調書あるも右は本弁護人の弁論再開申請書記載の如く一般に対する印刷物を使用し素行記載欄には悉く一律に不良との抽象的なる文字二字記載あるのみにして少年等の平素の精神状態素行等につき何等具体的なる表示一つもなし右記載欄は狭小にして漸くにして二字を記入し得るのみ従つて各少年等の既往の性格経歴良好なるものありとするも右狭小なる記載欄を以てしては記するに余白なく只本件を敢行せる只此の一事あるを以てのみ不良と記載せられたるものなるべく右の如き資料を以て少年犯量刑の資料となすは甚しく危険を包蔵するものなりと言ふべく此処に於て本弁護人より前掲法規の趣旨に従ひ高等学校に於ける被告少年等の担任教授につき各被告人の個別審査方を上申せるも許されず一回の姦淫少年は執行猶予二回三回の姦淫少年は実刑を科すべしと為し両者の間区別をなすべき他の事情の審理を尽さず(近藤正雄の上申書記載によれば小野被告一人は共犯者中最も柔和なる少年にして誘引せられるや拒み得ずして追随し遂に回を重ねるに至り宮武少年は第二回目の際に他行し不在なりし為一回に止まりし事情あるを知る)判決を下せるは少年法の根本精神を無視し十九世紀の少年裁判に逆行復帰するの感あらしむる処にして右は刑事訴訟規則第二七七条少年法第五〇条第九条所定の命に背反する処大なるものありと思考せらる而して右背反は判決に影響を及ぼすものなる事明なるを以て原判決は破棄を免れざるものと思料す。
第三点原判決は科刑重きに過ぎ刑の執行を猶予せざるの失当ありと思料す被告少年等は警察署検察庁に於て各々本件犯罪事実を認め誠に申訳なしと謹慎しておる処に起訴せられ更に学生たりし齢僅かに十七才の若人達は学校より退学処分を受け父母に対し謝するの辞なく今や裁きの爼上に立ち真に前途暗憺たるものあり検挙せられて以来何れも衷心悔悟し爾来煩悶懊悩す被告人等の父母は被害者に対し真に申訳なしと心痛し謝罪すると共に我子我弟の将来に関し日夜悶え苦しみおるの情況にあり以下本件の犯情につき上申して御明鑑に訴へ御寛大なる御判決賜はらん事を懇願する次第なり。
茲に本件犯罪原因を考察するに其の最大有力なる原因が過ぐる大戦により醸成せられたる事は謂ふを俟たざる処なりと信ず上申するまでもなく凡そ入の行為の質の如何を論するには人間其のものより其の行為を切離し其の行為のみにつき其の価値を検討する事は不可能事なるべし其の行為の性質性格に就いては其の人々の素質及び行為当時の其の人の環境による必然的なる制約あることを認めざるべからざるなり従つて人間の行為の其の質の如何を検討するについては無論其の行為当時の其の人の社会的経済的条件及び医学的心理学的条件により如何に影響せられおるかを調査し以て検討すべきものなるを信ず只単に斯かる行為あらば外形事実のみを捕え以て直ちに厳罰すべしと為すは前世紀に執られたる「カント」に流れをくむ誤れる形而上学的考察に過ぎざるものなるべし本件記録を調査するに被告少年等は昭和九年生れ八名昭和八年十年生れ各一名(総て同期生)なるを知ると共に昭和十六年即ち開戦時に小学校に入学し而して昭和二十二年に小学校を終了したる事は推知せらる戦争時より戦争直後の国内動揺疲弊の最も甚しき時期に基礎教育を受けたる少年等たるなり而して二十二年中学校に入学二十五年に高等学校に入学昨年高校二年生たりしなり而して昭和十六年の開戦以来飛行機の襲来空襲による被害混乱全国にて約三百万戸の家屋は焼燬され無数の屈強なる壮丁の生命を犠牲にし夫を或は兄弟を或は愛児を戦場に失ひて悲惨を極むるものあり或は今日は「サイパン」の玉砕明日は沖縄の玉砕あるべしと喧伝せられ之等強烈なる刺戟は全国民の心理を混乱せしめ小学教育等振り返へり見るに寸時も赦されざりし情勢にありしなり回顧すれば真に惨憺として明状すべからざる情態にありしを想起せしめらる而して之に加ふるに当時有資格者にして経験に富む教師は応召し代用教員之に当り更に家庭に於ては父兄の応召よる不在或は物資の欠乏による苦難の生活より来る母姉の街頭進出或は男子の職場への躍進は終日少年等より慈母を奪去りやうやく薄暮疲労して帰宅せる慈母は心平かならざる処より母性愛も注がれずかかる状態の下に基礎教育を授けられし誠に不幸なる少年なるを知る上申する迄もなく子供の精神教育は青年期にかけて知性と情操との躍進的発展のある時期に当を失せざる程度に社会常識及び性教育等を教へ又は各方面への見聞の機会を与へ以て脱線の時期を正しき自覚を以て無事通過せしむべきなり然るに本件少年等は前掲記の状態下にあつて当時少年等に対する情操教育は全く顧られざりしと言ふも過言にあらざりしなり前掲悪条件が本件の原因を為すや明なりと思料す更に敗戦後餓死線の一歩手前にありしとも言ふべき苦難の生活は遂に大人の社会に於ても道義頽廃の声を発せしむるに至り此の暗き世相は同じ敗戦国内に生存する少年等の頭上にも襲ひ罹るや言ふを俟たざる処にして生来善良なる少年が此の大人の社会生活の荒廃の影響を蒙り少年等の生活も甚しく混沌として不健全なるものに転化し行きたるなり此又本件犯罪の温床なるべしと信ず更に精神的方面に於て何等の基礎工事準備工作なくしての新憲法の下に於ける男女平等同権の思想は天然自然的平等の思想にまで進み青少年男女をして彼等は自然にも無差別なるが如き感を与へしめ更に男女共学の制は性別より来る自然的秩序あるを忘れしむると共に両者の接触を平易ならしむるに至れるなり(本件記録によるも午後九時過ぎ会社の材料置場に誘はるるや十六才の少女は事もなげに其の使者の乗用せる自転車の荷物台に便乗し赴けるが如きは右主張の片鱗にあらざるか)而して前掲記の如き環境にある少年等が相集り戯る際に記録(小野少年の司法警察員に対する供述調書記載)の語る処によれば偶々武田少年が他より聞知し来たれる他人の犯行(本件と同罪質)を物語るや即時之に和し同夜敢行せんことを約せるものにして本件は少年が該犯罪事実につき共謀せる時期と犯行の時期との間に隔りあるをみるとき只単に劣情を抑制し得ず敢行したるもの或は変態的性慾により敢行したものとは認め難く前掲女性の進出により培れたる相互同の無遠慮或は異性の進出に対する反撥的意識(梅崎泰一の司法警察員作成の供述調書第十二問、高井千鶴子云々)と少年の強き模倣の本能(孟母の三遷)並に少年持前の悪戯心とか群集心理的なる心理作用(共犯者数名なること)に馳られて遂軽々に本件を敢行するに至りしものなりと思料す(恐らく他人より示唆されるとも一名にては敢行し得ざるべしと思考す)。
思ふに之等少年をしてかかる軽挙に出でしめたるものは前掲情操教育の不足と現下の社会環境にあるものと信ず本件少年等の父母並に中学校受持教師の上申書記載によるも少年等の素質は生来性犯人のカテゴリーに属すとか之に近接する素質の人々には非ざるなり全く本件犯罪原因の主なるものは社会を混迷に陥入れたる戦争なりと信ず本件犯罪原因を作りし戦争は何人の責任なりや換言すれば本件犯行の基礎土台を作りしものは国家なると共に我々先輩なるを自覚せざるを得ず第一次大戦後戦争と犯罪との関係を仔細に研究せる「エツクスナー」は其の著書に於て第一次大戦に於ける惨事中の最大惨事は戦争の青少年に及ぼせる影響にして涙なくしては語れざる悲惨事なりと記せるをみる環境は犯罪を生み犯罪は環境の産物なるを知る本件の場合被告少年等の環境を思ふとき本件の温床を知るとき一人被告少年等のみに本件の責任ありと為し捕えて以て獄に幽閉するは余りにも環境情況を看過無視したるの恨み無き能はず去る第五国会に於てやうやく内閣に青少年問題対策協議会設置せられ青少年の保護育成運動は全国的に展開するに至れり而して其の施行につき法務府及び国警は対少年犯検察の立場より文部省は教育的見地より発足し運動週間を定めて該運動に熱中す然れ共思ふに本問題は互に鳴物入りで騒ぐとも之により充分なる効果が期せらるるや否や頗る疑問なるべし本問題は何としても少年の心理を巧に捕えたる施策と之を裏付くる温かき愛情が絶対的不可欠の要件なりと思考す愛情の伴はざる御役所式なる少年の指導が如何に惨なる結果をもたらすかは各地に相次いで起りし少年観護所の放火事件脱走事件が雄弁に之を物語れるにあらざるか特に本事案の如く素質純真なる少年が前掲の如き環境の下に於て情操教育の不足等より犯罪を敢行せる場合原審科刑が実効を納め得るは至難なりと言ふべく本能といひ衝動といひ之等はもともと卑むべきものに非ざるのみならず生活本能や性慾本能あつてこそ人類の歴史は今日に及び得たるなり此の本能又は衝動を深き知識と情操とによつて向上せしめてこそ高き精神生活の基礎は培れるに至るなり而して此の教育が心からなる真の愛情の伴はざる御役所式な処理にて其の目的を達し得るものとは思考せしめられざるなり先年名古屋所在のデパート屋上より失業の父親が我子を抱きて飛降り自殺を為せる事案ありしを記憶す父子共に落下せるものなる故当然両者共に死を免れ得ざる筈なるに地面に接触せる瞬間其の父が子供を差上げし為か父死亡せるも子は何等の怪我をも受けず全く奇蹟的に救助せられし為当時世論を喚起せるをみる此の事案につき特に問題となりしは親の本能的愛情にありしなり子を死の道連れにせんと計りし最後の一瞬に於てさえ子をいとほしむ父の愛は斯くも強く表現するものなりや幸なるかな記録編綴の身分調書記載によれば被告少年等の家庭は悉く良好なる家庭なりとす而して本弁護人の知る処によれば本件少年の父母は被告少年等の将来に期待をかけ学成るの日を待ちわびたるに本件あり驚愕為す所を知らず神仏に祈願し自己の身命を賭しても少年を更正せしめん事を誓ふ冀くば被告少年等を父母の教育監督の下に復帰せしめ給らん事を懇願す上申する迄もなく少年は自暴自棄に陷入り易く悪風の感染容易なり若し被告人等に実刑を科さんか自暴自棄に陷入り或は悪風感染するの虞多分に存するを恐る若し然らんか斯くては人を救はんとするの刑事政策はかえつて人を害する事と相成るべし誠に寒心の至りなりと思料す純真なる被告少年等は今や裁きの爼上に在り暗黒へか光明へかの分水嶺に立ち既往を悔ひ煩悶懊悔す、此のときに当り御寛典を賜りて彼等を感激せしめ更に肉身の愛の力により保護監督するに至らば必や将来再び斯かる過ちに陥入る事なしと確信す原審が初犯の被告人犯時十六才十七才にして前途ある少年再び斯かる犯罪を為すの危険性(盗癖ある者の犯行と趣を異にす)なき被告少年等に対し実刑を科せるは甚しく不当なりと思料す尚之に加えて被害者等は被告人等に対し寛大なる御判決を求むる嘆願書を提出し居る事実は記録に徴し明なる処なりとす。
以上を以てすれば原審は或は一般警戒の点を憂慮せるが為実刑を科せしならんも科刑による一般警戒の効力に就いては従来かの「フイランセリー」の威嚇論に煩されて幻覚し時に一罰百戒なる語を以て之を推賞し来たれるも最近に至り該主張が唯抽象的観念的なるものにして科学的実証学的なる主張に非ざる事且其の効果の薄きものなることは認容せらる処なり為に転換して近世刑法の理想は刑罰は特別予防を標的となし社会に対する関係は之を予防政策に譲る事と為すに至れるなり少年犯に付ては特に然りと信ず。
更に行刑の歴史に徴するも科刑による一般警戒の効力は従前吾人が思考せし如き効果あるものと認め難し無論反社会性ありて教育するの必要あるものに対しては之に実刑を科し他面一般社会を警戒するの要ありと雖も現下科刑に因る一般警戒の効力を誇大視し特別予防の必要なきもの迄も一般警戒の目的の為に其の犠牲に供し其の結果は犯罪予防の目的が予防とならず却て再犯を生じ犯罪を譲成しつつあるには非ざるか特に青少年犯に於て其の著しきをみる更に現下の犯罪情勢(初犯者増加率の増大せる事実及び再犯率)に対応して刑事政策上最も緊要なる点は初犯者対策なりと思料す。
敍上の諸点より原審判決を検討するとき失当なる事を強張せざるを得ざるなり諸般の事情御斟酌賜り何卒被告人等に対し刑の執行を猶予して自新更正の機会を与へられ更に将来の新運命を開拓せしめられ国家の一員として日本再建に努力し得るの心境に御善導あらん事を此処に只管懇請して止まざる次第なり。
(その他の控訴趣意は省略する。)